
ール症を克服した人、酒造業者、議員、看護婦、安全技術者、心理学者、労働組合のリーダー、ボランティアグループの代表、刑務所の役人、作家、政治学者、統計学者、地域の世話役、生理学者等が参加していた。」 これは、「ウェット・ドライ論争」の時代から大きな躍進があったことを物語っている。1970年代には「アルコール症」という概念から、「アルコール依存(alcohol dependence)」、及び「アルコール関連問題(alcohol-related problems)」という概念に移行する動きが一般に見られた。予防策の面では、フランスのレダーマン(Ledermann)の研究、及びカナダのシュミット(Schmidt)とデリント(DeLint)の研究の影響を受け、地域全体のアルコール消費量を減らすにとに重点が置かれ始めた。その中で、「ほどほどの飲酒」にも大きな意味があるにとに注目が集まった。もはや、飲酒にまつわる問題とはアルコール症と過度の飲酒だけを指すのではなく、飲酒をする人すべてが関わる問題としてとらえられるようになったのである。 治療面では、アルコール依存ではなくても飲酒にまつわる問題を抱える人が大勢いるということが認識されはじめた。また、外来治療やカウンセリング、短期的治療など新しい治療法が生まれ、これらが従来型の入院による長期的治療法よりも好まれるようになった。もちろん従来の概念が必ずしも捨て去られた訳ではなく、アルコールの問題を抱える人々にとって、治療に関する選択肢が広がったのだ。 1977年の「WHOアルコールに関する専門家委員会(WHO Expert Commttee on Alcohol)」では、「アルコール症」という言葉が削除され、これに代わって「アルコール依存症(alcohol dependence syndrome)」及び「アルコール関連問題または障害(alcohol−related problems or disablilies)」という言葉が用いられるようになった。バージニア ベリッジ(Virinia Berridge)が指摘しているように、80年代には医学面に重点を置いた方策である「依存症に対するアプローチ」と、社会科学面に重点を置いた方策である「問題に対するアプローチ」が見られるようになった。 その後、生物医学、社会学、人類学、疫学等、特定分野の専門家のための特殊機関が設立されたことでこれらの方策は更に洗練されたものとなっていった。 こうした展開はそれ自体非常に好ましいものではあるが、このことによって1968年にセルトンベーコンが述べた一貫した関連性、関係、方向性の維持が損なわれることがあってはならない。 現在、国連の主な国際機関の二つである世界保健機関と、国際労働機関が全世界でアルコールにまつわる問題の発生が減少するように導く指導的役割を担っており、各国政府及び非政府機関に対し、アルコール誤用を防ぐための行動を起こすよう呼びかけているという事実は非常に心強い。 本報告書では、当然のことながら過去数十年間の様々な国における飲酒に関する政策、研究、予防、治療の流れについて多くを論じるにとは出来なかった。ここでは単に、飲酒が及ぼす結果に対する姿勢の一般的変遷と、飲酒の有害な影響への対処法に焦点を当てることに留まった。結論として、最近パリで開かれたWHOの「健康・社会・アルコールに関する会議」、及びここ東京で開催中の会議でも示されているように、アルコールにまつわる諸問題に関する建設的な政策の策定において、国際間で協力していこうとする強い意志が存在すること、そしてにれが確実
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